「35年行われてきた定期昇給、労使慣行は成立するか?」

35年行われてきた定期昇給、労使慣行は成立するか?

 

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1. 定期昇給と労使慣行

会社によっては、毎年一定の時期に、定期昇給という形で、会社業績や個人評価等を踏まえて従業員の賃金を増額することがあります。

賃金規程や雇用契約書には「昇給あり。毎年4月に実施する。ただし会社の業績、勤務成績その他の事情により昇給しないことがある。」などの一般的な規定があるだけで、実際の昇給の有無や昇給額はその都度決めるという運用がなされていることも多いです。

では、長年にわたり定期昇給がなされていたにもかかわらず、業績悪化等を理由に定期昇給を停止することができるでしょうか。

賃金規定等には、昇給をしないこともあり得る旨の定めがあり「必ず」「絶対に」定期昇給することが義務付けられているわけではありませんので、使用者は、そのような定期昇給は約束、合意していないと主張します。

一方、労働者は、長年にわたり定期昇給がなされてきた実績から、賃金規程にはそう書いてあるものの、それとは異なる労使慣行が成立していたのだ、と主張します。

このように労使慣行が成立していたかどうかは、様々なところで問題になります。118号(令和5年10月発行)のニュースレターで、60年以上継続して支給されていた手当について労使慣行の成立を否定し、その廃止について労働者の合意は必要ないとの地裁判決をご紹介しました(労働新聞・令和5年9月18日第3417号)。

改めてとはなりますが、労使慣行とは、就業規則などに基づかない一般的な取り扱いが長い間反復・継続することによって、労使双方に対して事実上の拘束力をもつ規範として機能するものといわれています。ただこの労使慣行は簡単には認められない傾向にあります。

商大八戸ノ里ドライビングスクール事件(最一小判平成7年3月9日、大阪高判平成5年6月25日)も、使用者と労働者との間で、長期間、反復継続された労働条件に関する取扱いが、「法律行為の当事者がこれに依る意思を有せるものと認」められ(民法92条)、契約と同じく、使用者と労働者の双方を拘束する法的効力を有するためには、右取扱いが長期間反復継続されただけでは足りず、当事者が明示的にこれによることを排斥していないことのほか、労働者のみならず、使用者の右労働条件を決定する権限を有する管理者が、この取扱いを承認し、これを準則として従うべきであるという規範意識を有することを要するものと解すべきであるとしています。

このように単に長期間反復継続しているだけではなく、使用者側もこれを規範意識として持っていることまで必要ということになります。

 

2. 35年間の実績はどう評価される?

今回ご紹介する学校法人I学園事件(東京地裁令和5年10月30日判決・労経速2543号)は、給与規程に予算の範囲内において毎年4月に定期昇給を実施することが記載され、かつ、35年間にわたり実施されてきたところ、大幅な赤字などの財政状況に鑑みて定期昇給を実施しなかったという状況下において、定期昇給を行うことが労使慣行になっていたかどうかが争われました。

裁判所は、上記と同様に、民法92条による法的効力のある労使慣行が成立していると認められるためには、「同種の行為又は事実を一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと、労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないことのほか、当該労使慣行が労使双方の規範意識によって支えられていることが必要」としたうえで、過去の組合との交渉の経緯において、使用者側が定期昇給を行わない可能性や中止について言及するなどしていたことを踏まえ、使用者が定期昇給を行うことを規範として認識していたとは認められないとしました。

また組合側も、定期昇給が当然に行われるものではないと認識していたからこそ、団体交渉で要求していたといえるとして、労使双方の規範意識によって支えられたとは認められないとして、労使慣行の成立を否定しています。

このように裁判所は、年数だけではなく、その間の労使の言動等も踏まえて最終的に判断しています。「規範意識」という内心に関わるものであるため、立証し、認定するのは難しい側面があるのだと思います。

ただ定期昇給について、いつも、一律、定額、特に何の説明もない、という形が積み重なると労使慣行の成立を主張されやすくなるので、毎年、昇給の時期には、内部的に昇給の有無、予算決定、人事考課などをして、その都度、昇給を決定するというプロセスをとり(昇給検討をしているということは、当然に定期昇給をさせるという規範意識がないことの裏付けにもなる)、かつ、財政状況が厳しいときには昇給が行えないこともあり得る等のアナウンスをする(実際には生活面を考慮して若干の昇給をすることがあっても)などして、労使双方が、当然に定期昇給があるわけではないという共通認識をもつことが重要と考えます。

 

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この記事の監修者:岸田 鑑彦弁護士


岸田鑑彦(きしだ あきひこ)

杜若経営法律事務所 弁護士
弁護士 岸田鑑彦(きしだ あきひこ)

【プロフィール】
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。平成21年弁護士登録。訴訟、労働審判、労働委員会等あらゆる労働事件の使用者側の代理を務めるとともに、労働組合対応として数多くの団体交渉に立ち会う。企業人事担当者向け、社会保険労務士向けの研修講師を多数務めるほか、「ビジネスガイド」(日本法令)、「先見労務管理」(労働調査会)、労働新聞社など数多くの労働関連紙誌に寄稿。
【著書】
「労務トラブルの初動対応と解決のテクニック」(日本法令)
「事例で学ぶパワハラ防止・対応の実務解説とQ&A」(共著)(労働新聞社)
「労働時間・休日・休暇 (実務Q&Aシリーズ) 」(共著)(労務行政)
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